MANAGEMENT

城井谷の悲劇は「警戒心から生まれた懐疑心」が生みだした!?

2018.10.03

黒田官兵衛の城井谷城のエピソードから学ぶ「警戒されないこと」の重要性

“戦わずして勝つ”というスタンスで戦国を生き抜いた天才軍師黒田官兵衛。天才軍師のエピソードの中で、異質の存在と言えるのが「城井谷の闘い」です。だまし討ちをするという、結果となりましたが、その原因は豊臣秀吉から警戒されたためであっという説があります。医院経営においても警戒されないことは、とても重要なポイントと言えます。警戒されないことの大切さを黒田官兵衛のエピソード官兵衛から見ていきましょう。

城井谷城と黒田官兵衛のエピソード

城井谷城は、現在の福岡県にある場所で地形を生かした築城で天然の要害と呼ばれる名城でした。この城の持ち主は、この地で代々生活してきた宇都宮鎮房です。

鎌倉時代からこの地に住んできた宇都宮氏に、天下人の豊臣秀吉は「伊予国への転封」を命じました。そして、豊臣秀吉は、宇都宮氏の城井谷城とその領地を黒田官兵衛に与えたのです。

宇都宮氏はこの豊臣秀吉の命に従わず、秀吉朱印状を返上してしまいます。

そして、宇都宮氏に変わってこの土地を収めることになった黒田官兵衛は、一揆や宇都宮氏一族からの反感に苦しめられることになります。

この時代に天下人の豊臣秀吉の命令に背くことは命に関わることですから、宇都宮氏の覚悟は相当なものであったことでしょう。黒田官兵衛はなんとかしてこの問題を解決しようとして、人質の交換までするのですが、結局解決には至らず、黒田官兵衛の長男、黒田長政が酒の席で宇都宮氏を切りつけるという最悪の事態となってしまいました。これが有名な城井谷の悲劇です。

このエピソードは、黒田官兵衛が残した数々の闘いの中でも異質なものといえます。「戦かわずして勝つ」ことを優先させ、水責めなどで開城させる方法を得意としていた黒田官兵衛が、だまし討ちをしたのです。

この悲劇的なエピソードは、現在でも語り継がれています。城井谷の周辺に住む人は、今でも黒田官兵衛をあまり快く思わない人もいるそうです。

この最悪の結果をとなったのも、豊臣秀吉の「無茶ぶり」が原因です。そして、一説によると、豊臣秀吉は宇都宮氏に一度は領地安堵を約束し、その上でわざと黒田官兵衛に宇都宮氏の領地を治めさせるようにしたというのです。

なぜ、豊臣秀吉は黒田官兵衛にまるで嫌がらせのようなことをしたのでしょうか。

それは、豊臣秀吉が黒田官兵衛の才能と才覚に警戒していたからだと言われています。天下人であった豊臣秀吉は、黒田官兵衛のあまりの頭の良さに警戒し、そして懐疑心を持っていたのでしょう。

黒田家の汚点とも言われる、城井谷の悲劇は、警戒心から生まれた懐疑心が生みだしたものだったのです。

医院経営において黒田官兵衛のエピソードから学べること

先ほどご紹介した黒田官兵衛のエピソードは「警戒されたこと」で起こったものでした。つまり、自らの才能や知性を発揮しすぎることのデメリットを教えてくれるものということです。

警戒心は、医院経営においてできればない方がいいもののひとつです。

優秀な医師や経営者であることが、患者さんやスタッフにとっては安心できる要素であるのは間違いありません。ですが、あまりにも優秀すぎると警戒されてしまう可能性もあります。

才能や知性は時に、他者からの警戒心を生む要素になりかねないものです。経営者として、患者さんやスタッフから警戒されないように、親しみやすさや時には人間らしさを見せることはとても大切です。

もちろん、この平和な世の中で警戒されたからといってだまし討ちをする羽目になるということはありませんが、黒田官兵衛のエピソードから学べることは、警戒心は時に、懐疑心を生み出すものになるということです。相手がだれであっても警戒心を与えないように注意しましょう。

執筆者:DR’S WEALTH MEDIA編集部