レジャー

咽かえるような苦しい過去の記憶や遺構と、のんびりとしたウサギの姿や美しい自然が混在する島

2018.06.22

ウサギと過ごす無人島-平和をかみしめることのできる島-

「地図から消された島」という歴史を持つ大久野島は、近年、「ウサギの島」と呼ばれ、国内外の観光客から親しまれています。
広島県竹原市に属する大久野島に到着すると、愛らしいウサギたちの姿があちこちに見え、気づくと足元にふわふわの毛が触れているということもある素敵な無人島です。
今回は、悲しい過去の歴史があったからこそ人を魅了してやまない、大久野島の魅力に迫ります。

国内外の観光客から大人気の大久野島とは?

約700羽のウサギがのんびりと暮らす大久野島は、全島域が国有地であり、「休暇村大久野島」となっています。
ホテルやキャンプ場、海水浴場やレクレーション施設、ビジターセンター、遊歩道などもあり、季節を問わず楽しめる島です。また、効能の見解は分かれるものの、泉質が放射能泉である温泉も楽しめます。

ただ、一般車両は通行できず、休暇村で働く従業員のみが人口として数えられ、民家もありません。
Wi-Fiなどの情報ネットワーク網は整備されているものの、上水道は本土から運ばれており、行政管理上「無人島」となっています。

大久野島へのアクセス

大久野島へのアクセスは、広島県竹原市にある忠海港から15分程度、愛媛県今治市にある盛港からも15分程度で、交通手段はフェリーのみです。
時間を合わせれば、島内の主要スポットを経由するバスもあるため、フェリー乗り場から休暇村協会が運営するホテル「休暇村大久野島」まで歩かず移動することもできます。
無理に歩かなくても、ウサギたちは島中にいるので、ホテル周辺や海岸沿いでも戯れることが可能です。

ウサギと自然に癒される、贅沢なゆったりタイム

「ひと手間」かけなければ行くことができない大久野島には、やさしい静けさと美しい自然が広がり、驚くほど人懐っこいウサギたちに巡りあえる空間が広がっています。
ふっくらとしたウサギたちは、まるで友のように観光客を迎え、その警戒心のなさと愛らしい瞳が多くの観光客の心を奪います。一眼レフやデジカメ、スマートフォンを向けては思わず笑みがこぼれる、そんな癒しの島です。

島の周囲は約4キロと小さく、澄んだ海や空、近くに見える島々を眺めながら歩いていると、あっと言う間に自然を堪能できる贅沢な散歩道へと変貌します。
耳を澄まして聞こえるのは、ウサギたちが芝を踏む音と風の音だけ。大久野島は、日常から切り離された時間を、ゆったりと心ゆくまで楽しむことができる場所なのです。

「地図から消された島」、大久野島の悲しい過去

冒頭でも触れた「地図から消された」という悲しい過去も、国内外から多くの観光客が島に訪れる理由のひとつです。大久野島の海岸沿いを歩きながら内陸部に目を向けると、大久野島の過去に触れることができます。毒ガス貯蔵庫跡、研究所跡、発電所跡、砲台跡…のんびりとエサを食べるウサギたちや美しい自然の景色とは対照的に、戦争を彷彿とさせるような建物が残されているのです。

また、島にある毒ガス資料館では、大久野島が「毒ガスの島」と呼ばれ、「地図から消された島」であること、その歴史についても知ることができます。軍港であった広島や呉を守るため、1902年(明治35年)に芸予要塞が設置され、1929年(昭和4年)には日本陸軍の毒ガス工場が設置されました。その後、地図から存在を抹消された大久野島では、嘔吐剤・血液剤・催涙剤・びらん剤の4種が作られ、製造にかかわった多くの人たちが命を落としたのです。また、戦後に大久野島の無毒化消毒にかかわった人たちも、障害や後遺症に今も悩まされています。

大久野島への旅の提案

このように大久野島には、咽かえるような苦しい過去の記憶や遺構と、のんびりとしたウサギの姿や美しい自然が混在しています。だからこそ、いま、目の前に広がるのどかな景色やウサギたち、ゆっくりと流れる時間を体感し、平和というものの尊さを噛みしめることができるのです。

「過去のことは過去のことだといって片付けてしまえば、それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる」という言葉を、イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは遺しています。
祖先が命を削ってつくった癒しと学びの島、大久野島への旅を計画してみてはいかがでしょうか?

執筆者:DR’S WEALTH MEDIA編集部
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