人材マネジメントが経営の成功と失敗を左右する
2018.02.14
エジソンの失敗と鉄鋼王カーネギーの成功に学ぶ、人材マネジメントの大切さ
エジソンの大失敗
発明王のエジソンは、「失敗は成功のもと」という考え方の代名詞のような存在といえるでしょう。電球を発明するまでの苦労についてインタビューされたとき、「失敗はしていません。うまくいかない方法を1万通り発見しただけです。」と述べたという彼のエピソードは有名です。
しかし、そんなエジソンも、とりかえしのつかない大失敗をしています。それが、電流戦争と呼ばれる出来事です。
エジソンは自分の発明をもとに会社を経営し、とても優秀な科学者であるニコラ・テスラという人物を雇っていました。エジソンは当時、電球だけでなく送電システムの開発もしており、エジソンは直流方式で送電システム技術を確立していましたが、部下のテスラが交流方式の技術を提案してきたのです。
これまでの直流方式にかけた努力が水の泡になってしまうという理由でテスラと対立し、多額の広告費までかけてテスラの交流方式よりも自分の直流方式のほうが優れたものだと世間に納得させようとし、現実には交流のほうが送電システムとしてはるかに優れていたため、テスラに軍配があがり、これまでの研究や広告費も無駄に終わったというのが事の概要です。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの大成功
一方、エジソンと同じ時代に活躍していた経営者に、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーがいます。エジソンも企業家として大成功していますが、カーネギーの大成功には及びません。
カーネギーは、マイクロソフト社のビル・ゲイツをも上回る歴史上の富豪として知られていますが、彼にエジソンのような特別な才能があったわけではありません。では、何がカーネギーを歴史的な大富豪にしたのでしょうか。
カーネギーのモットーは、「自分より優秀な人材を集める」ということで、カーネギーの墓には、「Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.」(自分より賢い者を近づける方法を知る者、ここに眠る。)と書かれています。
そんなカーネギーは、少年時代から、働き方について独特の考え方を持っていたと自伝にも記されており、彼の人材マネジメントの考え方を物語る以下のようなエピソードがあります。
カーネギーが生まれた時代は、産業革命が真っ最中の時代で、鉄道が次から次へと建設されていった時代でもあります。カーネギーは少年時代、鉄道会社で働いていました。当時のカーネギーは、身分としてはただの見習い少年でした。ところがある日、いつもカーネギーを気にかけてくれていた上司が不在のときに鉄道が事故を起こしてしまったのです。その上司は、鉄道の動きを監視して列車の運行を管理していましたが、その上司以外、列車の運行を管理する方法を知らなかったので、事故を処理することができませんでした。
そこで単なる見習いだったカーネギー少年は、会社を守るために、上司の代わりに事故を処理することにし、自分の判断で、列車の運行の指示を出したのです。日々の自分の仕事以外にも、上司の仕事ぶりを常に吸収していたカーネギー少年は、見事に鉄道を機能させ、会社の信用を守ったのです。
カーネギーはこのような経験から、仕事には適材適所があるということを深く学び、それが人材を最優先する経営マインドにつながり、歴史的な大富豪となったのです。
人材マネジメントの答えはひとつではない
超優秀な部下と対立することで大失敗してしまったエジソン。一方で、「自分より優秀な人材を集める」ことで大成功を収めたカーネギー。
もちろん人材マネジメントの方法には、正しいひとつの正解があるわけではありません。ですが、エジソンとカーネギーの人材マネジメントの失敗と成功には、大いに学べることがあるのではないでしょうか。