インタビュー

”思い切り楽しむこと”の大事さを後継者に説く

2018.10.26

ヘア&メイクアップアーティスト 歯朶原 諭子氏インタビュー

ヘア&メイクアップアーティストとして国内はもとより海外でも活動の場を広げる歯朶原諭子さん。
近年は地元である兵庫県明石市で「ヘッドアートフォトコンテスト」を開催し、後継者育成にも力を入れる彼女に、アーティスト活動の信念や今後の展望を聞いた。

 

【プロフィール】
●歯朶原 諭子 (しだはら さとこ)
1982年3月8日生まれ、兵庫県明石市出身。地元の高校を卒業後、大阪の専門学校へ。
その後、フリーランスのヘア&メイクアップアーティストして広告や雑誌などで活躍。同時に専門学校の講師としても活動。2011年には「パリコレ ヘア&メイクアップアーティストオーディション」でグランプリを受賞。翌年、「パリコレクション」にスタッフとして参加した。地元、明石市にてイベント「ヘッドアートフォトコンテスト」(hapc-japan.com/)を主催

 

思い切り楽しんだ結果大舞台で1位を受賞!

-ヘア&メイクアップアーティストを目指されたきっかけは?

歯朶原 諭子さん(以下、歯朶原):高校生の時に、劇団四季の『ライオンキング』を鑑賞し、その世界観に圧倒されて、私もこんな舞台に関わってみたいと漠然と思ったのがきっかけです。
『ライオンキング』は衣装もすごかったですが、メイクが自分の中に強く印象に残っていたんです。
パンフレットを読んでいると”ヘア&メイクデザイナー”という職業があることを知り、すぐにその職業に惹かれました。
 

-高校卒業後、専門学校に行かれて本格的に勉強されたとのことですが、どのような学生時代でしたか?

歯朶原:自分が思い描いていた世界とまったく違いました。
私の中では『ライオンキング』がメイクの原点としてあるので、例えば”メイク=顔に絵を描く”という根底が覆された感じです。
そもそも、メイクというのは、モデルさんを相手に綺麗にお化粧をするということが前提。顔に絵を描く授業なんてありませんでしたから(笑)
それで、1年生の終わりに先生にそのことを相談したら『あなたはコンテストに出なさい』と。
私のやりたいことは、広告や雑誌では表現しきれないと思っていただけたのでしょうね…
実際に、学校のテストの点数や成績は低かったです(笑)
 

-2011年に「パリコレ ヘア&メイクアップアーティストオーディション」でみごとグランプリを受賞されましたが、どのような心構えで挑まれたのでしょうか?

歯朶原:そもそもオーディションには4回トライしましたが、今思い返せば、1年目から3年目までは、参加していても楽しくなかったんです。
作品が評価されても”自分1人で頑張っている”みたいな勘違いがあって、モデルさんや周りのスタッフの方への感謝の気持ちも少なかったので、変なプレッシャーに苛まれていましたし、チームとしても成り立ってなかったですね。
ですので、4回目の挑戦は『もう、思い切り楽しんじゃおう!』と割り切って挑み、それまでの”私のやりたいことを表現する”という考え方から、”モデルさんに似合う作品作り”へ思考を変えたんです。
本当に楽しい作業でしたので、まさかグランプリを獲れるとも思っていませんでした。
 

「パリコレ ヘア&メイクアップアーティストオーディション」で高い評価を得た歯朶原さんの作品
 

-グランプリ受賞後に参加された「パリコレクション」という大舞台ではどのような経験をされたのでしょうか?

歯朶原:関わっているスタッフ全てが楽しんでいるという印象を持ちました。もちろん、日本では考えられないほどの過酷な現場ではあります。
スタッフはほとんど眠れないようなスケジュールをこなしているのですが、誰もがエンジョイしているというのは驚きでしたし、改めて自分がグランプリを受賞できた要因もわかってきました。
与えられたものをプロフェッショナルとしてきちんと世に出すというのは大前提で、こちら側のモチベーションとか楽しいという気持ちというものも作品に反映されるんだなぁと。
 

-専門学校の講師もされていますが、後進の育成をする際にもその経験は生かされていますか?

歯朶原:頭を柔らかくして固定観念を捨てて、相手(モデル)のことを考えられるメイクさんになりなさいと教えています。
そのためには、コミュニケーション能力というものが必須。
自分自身が楽しむことで、現場の雰囲気が柔らかくなり、モデルさんの表情筋なども含めて”顔”が変わっていきます。
ヘア&メイクは決して技術だけではない、と学生にはずっと言っています。
 

-2012年から地元の明石市で主催されている「ヘッドアートフォトコンテスト」とはどのような趣旨のイベントなのでしょうか?

歯朶原:人間の頭部を斬新にデザインして装飾するというコンテストです。
参加資格は、特に設けていなく、職種さえ関係ありません。
開催を思いついたのは、自分の学生時代にはこういったコンテストがなかったので、若い人たちに表現できる場を設けてあげたかったからです。
もう6回目になりますが、徐々に認知され盛り上がってきています。
それともちろん、生まれ育った明石市が、”アートの街”として世界的に認知されれば嬉しいという恩返し的な思いもありますね。
 

-今後の夢をお聞かせください。

歯朶原:”地元から世界に”を合言葉に、ヘッドアートのイベントを今後も続けて、どんどん拡散できればと思っています。
プライベートでは、中学生の娘をシングルマザーとして育てています。娘の成長が作品作りへのモチベーションにもなっています。
その分、寂しい思いもさせているので、アーティストとして良い仕事をして、母親としても娘から及第点をもらえるように”楽しみながら”頑張りたいですね。
母親がこんな感じなんで、娘はとてもしっかりしているんです。今は、逆にいろいろと助けてもらっています(笑)
 

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