INTERVIEW

”お金を使わず、知恵を使え〟震災を乗り越え、走り続ける”

2018.10.29

若松味噌醤油店十代目 若松 真哉氏インタビュー

150年以上続く福島県の老舗味噌店「若松味噌醤油店」の十代目として日々、変わらぬ味を追求しながらも、新たなことに挑戦する姿勢を見せ続ける若松真哉氏。
2011年3月11日に起こった東日本大震災において、被害に遭いながらも前向きな努力で乗り越えピンチをチャンスにしてきた知恵とポジティブな精神、跡継ぎに関する自身の考え、そして将来の展望までを伺った。

 

【プロフィール】
●若松 真哉 (わかまつ しんや)
1977年生まれ、福島県出身。
地元の高校を卒業後、東京で服飾関係の仕事に就いたあと、江戸時代から続く「若松味噌醤油店」を継ぐべく28歳で南相馬市へ戻る。
2011年の東日本大震災では被害に遭ったものの、翌月には営業を再開。古き良き製法を守り、伝統の味噌作りを続ける。

 

青天のへきれきで家業を継ぐ決意を

-若松味噌醤油店」は150年以上続いているそうですが、元々若松さんご自身は家業を継ぐ意思が薄かったそうですね。

若松真哉氏(以下、若松):大学卒業後は、東京のアパレル企業に就職し、新宿のデパートに勤務していました。
今思い返しても、仕事にまい進し、いい同僚や上司とも巡り合え、とても充実した毎日でした。
そういうこともあり、福島に戻って跡を継ぐという考えは、当時はなかったですね。『いつか、福島に戻るのかな?』くらいでした。
 

-どのような経緯で、継ぐことを決意されたのでしょうか?

若松:まさに”青天のへきれき”でしたが、ある日、父親の体調がすぐれないという連絡を受けたんです。二八歳の時でした。
社会人として、ちょうど仕事が面白くなってきた時期でしたので、相当迷いましたが『家と会社、どちらにも義理を通すとするならば、今しかない』と決意したんです。
幸い、上司の方にも背中を押していただきました。
このころにお世話になった方々は、震災後にもいろいろと助けていただいたりと、未だに懇意にしていただいています。本当にありがたいです。
 

-都会での忙しく刺激的な日々と比べ、福島に戻られてからはモチベーションを維持することは難しかったのでは?

若松:幸い、父親も体調が回復し、新米の味噌職人としてがっつりと父親と向き合うことになるのですが、やはり父親が上司であり、師匠になるわけですから、そういった関係性での難しさがありました。
父親の方も、やりづらかったんじゃないでしょうか。
ですが、跡を継ぐということに関して、これはある意味でのハードルだと思うんです。それを越えられない人もたくさんいますから。
ハードルの越え方はさまざまですが、うまく行っているところの方が珍しいんじゃないでしょうか。
うちのような職人気質な職種だったら、なおさらだと思います。
 

-若松さんは、どのように乗り越えられたのですか?

若松:もう、ケンカはしょっちゅうです(笑)
それくらい、真正面からぶつかり合いました。ケンカするぐらいのエネルギーがなかったら、家業を継ぐというのは難しいのかなとも思います。
ある日、父親が『親は飛び越えるものだ』と言ったんですが、その言葉は響きましたね。
僕には息子がいるんですが、いつか家業を継いでくれたとして、私がその言葉を彼に言えるのかな…とか、今でも時々考えてしまいます。
技術的なことはもちろんですが、職人としての心意気というか、自分が作るものに対するプライドや妥協しないということ、お客様に対して誠実であるということの大事さを教えてもらいましたので、今は父親を尊敬しているんです。
 

常に初心を忘れずに震災にも打ち勝つ

-東日本大震災が起こったのは、ちょうど今のお仕事が面白くなってきた時期だったのではないでしょうか?

若松:福島に戻って6年目。味噌作りも徐々に分かってきて、すごく充実している時でした。
私の人生を大きく変える出来事でしたが、しかし、心は折れなかったです。
当時、地元の消防団に所属していたのですが、たくさんのご遺体を見つけました。
亡くなった方の分まで頑張らないといけないと、走り続けることができました。
 

-お店の復建、復興に際して、一番難しかった部分というのは何だったのでしょうか?

若松:周りの声ですね。風評被害よりも、地元から聞こえてくる弱気な声が、一番こたえました。
ある調査で、7割の方が福島県の商品をこれからも買ってくれると答えてくれたんです。
私としては『よし、残りの3割を気にしていても仕方がない!』と前向きになれたのですが、地震だけではなく、福島第一原子力発電所のアクシデントによる放射能汚染などもあり、農作物を作り続けることを諦める人も多かったんです。
そうすると、味噌作りの材料の調達も難しくなって…あの時は、”諦める”という選択は、我々にとって死活問題でした。
 

-どのように危機と向き合われたのでしょうか?

若松:知恵です。昔から”お金ではなく知恵を使え”というのは、父親からの教えでもありました。
材料の調達が難しいなら、うちには何がある? そうだ、麹ならある、と。
そうしたら、甘酒は作れるんじゃないか? よし、冬だけではなく、季節問わずに飲める甘酒を研究しよう…といった風に。
それと、子どもたちの存在も大きかったですね。私には息子が2人、娘が1人いるのですが、やはりきれいな形で、この店を残してあげたいという思いが、モチベーションに繋がりました。
まぁ、相当悩んだり、苦しんだりはしましたが(苦笑)
50歳まではいろいろなことに挑戦し、変化し続けていくつもりです。
 

-若松さんは”代替わり”や”跡継ぎ”に関して、思うとことはありますか?

若松:一度は外の世界へ出て、しっかりと自分でご飯を食べていけるまでの一人前の仕事をするというのは大事だと思っていますが、もし家業を継ぐ気があるのであれば、代替わりや跡を継ぐ時期は早い方がいいような気がしています。
失敗を恐れずに、はち切れんばかりのエネルギーで突き進めるのは若さの特権です。
私は今41歳で、来年社長に就任する予定です。
まだまだ頑張れますが、やはりこの年齢になると、守りに入ってきているというか、若いころのような圧倒的なエネルギーは残念ながらないですから。
 

-今後の展望をお教えください。

若松:福島県にもう一度人を呼びたいです。
震災後すぐは復興ツアーなどもあり、各地からお客様が来てくださったのですが、当時はお金もなければ時間もなく、うちの店も引き続き訪れてもらえるようなレベルではまだまだなかったと思っています。
今後、お店の整備、改築、駐車場作りなどを行い、イベントなどもしやすくしていく予定です。
また、地域の店主たちと知恵を出し合うべくミーティングできる場所も作りました。
震災の際に支えてくれた方、励ましてくれた方のためにも、私は『若松味噌醤油店』において十代目となりますが、歴史にあぐらをかくのではなく”常に初代たれ”という精神でチャレンジしていきます。
 

若松味噌醤油店
http://wakamatsu-miso.jp/

住所:福島県南相馬市鹿島区鹿島字町181
電話:0120-35-2940
時間:7:30~19:00(日曜定休)