インタビュー

長期にわたり地域の健康増進に 寄与し続ける存在でありたい

2019.04.25

さくら歯科クリニック 院長:佐藤 正彰氏インタビュー

「地域の医療水準を上げるべく、向上心を持って取り組んでいます」

岡山県出身の佐藤先生にとって、それまでの人生でゆかりのなかった広島県府中市。
しかし、ここで開業したことでどんどんと芽生えてきた「地域への愛」。
自分自身の向上心や熱意はもちろん、スタッフ教育や最新設備の導入にも積極的な先生にモットーや将来のビジョンを聞いた。

 

東京での武者修行がより成長させてくれた

― 歯科医になられたきっかけは?

佐藤 正彰先生(以下、佐藤) 「母親が技工士でしたので、幼少期から歯科医院には良く行く機会がありました。そういった意味で馴染みのある職業でしたし、私自身、細かい作業も昔から大好きなんで、漠然と歯科医になりたいと思っていました。ただ、歯科大学入試に失敗し、浪人するのが嫌だったので、現役で近畿大学の理工学部に進んだんです。歯科以外に興味のあったロボットや人工知能を学ぼうと思ったのですが、結局、勉強はほとんどせず、アコースティックギターばかり弾いていましたね(苦笑)」

― 歯科医への夢を諦められなかったということでしょうか?

佐藤 「はい。結局、一年で近畿大学を辞め、岐阜県にある朝日大学歯学部に入学しました。その大学では『先輩たちが良くしてくれるよ』『実習道具をもらえるよ』といった口車に乗せられて(笑)、球技自体はあまり好きではありませんでしたが、バレーボール部に入部しました。なかなかハードな練習メニューを毎日こなしていたので、授業はほとんど寝て過ごしていましたが…。うちのバレー部は、歯科大の中ではなかなかの強豪だったんですよ」

― ご卒業後はどのような道に進まれたのでしょうか?

佐藤 「卒業してすぐに地元・岡山県の精神病院の中にある歯科に勤務医として入りました。しかし、卒業したてで何もわからず、しかも歯科医は私一人だけだったんです。悩んでも周囲に教えてくれる人もおらず、随分と本も読みましたが、なかなかうまくいかない…。それで『このままではだめだ!』と、東京に行くことに決めたんです。武者修行ではないですが、自分の未熟さに打ちひしがれていた時期でした。幸い、母方の遠い親戚が東京の浜松町で開業していましたので、そこで働くことになりました。二十六歳の頃ですね」

― 二十代半ばの佐藤先生にとって、東京という街は刺激的だったのではないでしょうか?

佐藤 「セミナーの数も圧倒的に多いですし、患者様の層も岡山とはずいぶんと違いました。その後、自分でより環境の良さそうな再就職先を探して、豊洲にある歯科医院に転職したのですが、ちょうど高層マンションの建設ラッシュの時期と重なり、周辺人口が増加していたんです。ファミリーからサラリーマンまで、幅広い層が訪れる医院でしたが、所得の高い方々が多く、浜松町時代とはまた違ったコミュニケーションや治療を経験できました。東京時代に学んだ、例えば患者様に〝現在、どのような状態なのか〟〝なぜ、この治療が必要なのか〟といった経緯説明を大切にする姿勢などは今でも生かされています」

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▲「患者様の悩みが解消した時の笑顔が一番うれしく思いますし、歯科医になって良かったと実感する瞬間です」と佐藤先生

患者様もスタッフも負担が減るように

― 広島県で開業されたきっかけは?

佐藤 「二〇〇八年に、こちらに物件があるというお話をいただきました。広島県の府中市という街は、私自身は馴染みはありませんでしたが、街のことを良く調べ、人口と照らし合わせても自営の方が多いということと、一部上場の企業もあることに魅力を感じたんです。一方で、地元である岡山県の笠岡市は歯科医院の数が多いのですが、こちらは代替わりされた医院はあるものの、新規に開業されるケースはほとんどありませんでした。それらを考慮し、あとは完全に、縁とタイミングです(笑)」

― 現在の場所へ移転されたのが二〇一八年一月とお聞きしましたが、最初はどのような環境だったのでしょうか?

佐藤 「開業当初は、思ったほど患者様が来なかったんです。地方都市ですので、やはり一度歯科医に通うとそれからはずっと同じところという方が多く、あえて新しい医院へ、という感じではないんです。それと、開業して四年目くらいまでは『技術さえ良ければ、口コミで患者様は来る』と信じていたため、HPは最小限、広告や看板も最小限しか用意していませんでした。そこからマーケティングの勉強をして、まずはHPを充実させました。患者様には、技術だけでは通用しないと痛感しましたね。ほとんどの方が新たにしたHPをご覧になって来てくださったのですから。その成果も実り、移転する直前くらいは、一日の来患数は四十人くらいまで伸びていました。当時はユニットが三台あったのですが、治療できるのは僕一人だけだったので大変でしたね」

― 理念に掲げてらっしゃる「地域の医療水準をあげる」ことに関してお聞かせください。

佐藤 「正直、周囲の先生方との交流は多くないため、一概には言えませんが、この地域の先生方の中には、新しい設備や治療法の導入にあまり積極的ではない方が多いように感じています。私は新しいやり方の方が患者様の負担が少なくなると考えているため、スタッフ教育や最新設備などを含め医療水準を上げるための地道な取り組みを皆様に伝える努力をしています。例えば、セミナーで得た最新設備の情報を吟味し、うちの環境に合うと思えば積極的に導入しています。現在、府中市でセレック(セラミック医療システム)を入れているのはうちの医院だけです。幸い、患者様に対する治療の時間もみるみる早くなりましたので喜ばれていますし、我々の負担も軽減されています」

― スタッフ教育の面で工夫されてらっしゃることはありますか?

佐藤 「四月からは月に一回、衛生士の講師にこちらに出向いてもらって講義をしてもらおうと思っています。主に、予防歯科を定着させていく考え方などを教えてもらう予定です。現在も、ミーティングの度に理念を語り、個人面談なども行っていますが、意識統一はまだまだですね。以前と比べると医院が大きくなっているので、今後は法人化は必須。ですのでスタッフには今まで以上に各々が目標を持って、それに向かって邁進してほしいですし、僕自身も、マネージメントの勉強はもっとしていかないとと感じています」

― インベストメントパートナーズとのお付き合いのきっかけは?

佐藤 「府中市で独立開業した当初、税金に対してや、老後に関して不安がありました。ですのでHPを拝見し、資料を請求させていただいたことがきっかけです。お話をさせていただく中で、税金などの目先のこと、老後などの今後のことに関しての不安がすっきりとしていきました」

― 今後の夢や展望をお聞かせください。

佐藤 「医院に関しては先ほどもお話ししましたが、まずは法人化。院長である僕がいなくても治療が回るような環境作りを急務に、スタッフにも積極的に東京や大阪で開催されるセミナーなどの参加を促しています。その環境が整えば、僕は早くセミリタイアしたいですね(笑)。月に数回、必要な患者様だけ僕が診るような働き方が理想です。時間の余裕ができれば、家族旅行にも出かけてみたいですが、例えばサーフィンなど、僕自身も何か新しいことに挑戦したいと思っています」

 

国道沿いにありアクセスも便利。2018年1月に移転開業しただけにオシャレで綺麗な外観が目をひく

 

「患者様にとってプライバシーは最も重要」と先生が語る通り、診察室はすべて個室になっている

 

セレックや従来の1/10のX線照射で撮影可能なデジタルレントゲンなどの最新機器を積極的に導入

 

さくら歯科クリニック

住所:広島県府中市中須町735-1
TEL:0847-54-0145
診察時間:9:00~13:00、15:00~19:00
休診日:木曜・日曜・祝日
スタッフ数:10人
1日の来患数:60人
ユニット数:6台

 

■担当コンサルタント
山田 裕也(やまだゆうや)

大阪府出身
[ ●日商簿記1級 ●米国NLP協会™認定マスタープラクティショナー●相続診断士]
クライアントの「痒いところに手がとどく」コンサルタントとなり小さな問題から大きな問題、どんな事でも対応できるチームをご提供しています。
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