インタビュー

登記業務などを通じて広く世の中に貢献することが信条

2017.07.21

司法書士 佐藤良基氏インタビュー

2011年の東日本大震災を機に一念発起し、司法書士としてさらなる高みを目指した佐藤良基氏。2012年には「リョウキギョウ株式会社」を設立し、代表取締役に就任。「良い起業が良い企業をつくる」をモットーに活動する佐藤氏の司法書士になったきっかけ、仕事に向かう情熱、そして将来の展望とは?
【プロフィール】
●司法書士
1981年生まれ、宮城県栗原市出身。同志社大学経済学部卒業後に司法書士事務所に入り、7年間の修業を経て2010年に「司法書士事務所登記のミカタ」を開業。2012年には「リョウキギョウ株式会社」を設立し、代表取締役に。これまでに設立した法人件数は400社を超える。

運と縁に導かれるように司法書士の世界の扉を開く

——どのような少年期を過ごされましたか?

佐藤良基氏(以下、佐藤):私の実家は宮城県で新聞販売業を営んでおりまして、毎日両親が明け方の三時くらいに起きる生活を見ていて『あぁ、僕にはこの商売は無理だな… 』と漠然と思っていたんです(笑)。朝早い上に、新聞販売業は年間に休みが十日ほどしかなく、家族旅行にも行ったことがありませんでした。生まれた時からそういった環境だったので『うちは他の家庭と違うんだ』と、小さいころから配達を手伝ったりしていました。物分かりのいい子供だったと思いますよ。まぁ、両親がどう言うかは分かりませんが(笑)

——宮城県にはいつまで?

佐藤:高校までは地元の宮城県でした。幸い、現役で同志社大学の経済学部に受かったので、大学から京都に移り住んだのですが、そこから四年間引きこもりましたね( 苦笑)。というのも、宮城の田舎から出てきた東北弁の青年が、いきなり関西弁のエリアで生活するというのがなかなかのハードルでして…言葉の勢いに圧倒されてしまったんです。話にオチがいるんじゃないか、何か言ったら一斉に突っ込まれるんじゃないか、そんなことばかり考えていたら、会話するのも怖いし、バイトも怖くてできなくなって、結局、部屋でひとりゲームばかりしていました。

——司法書士への夢というのは大学時代からお持ちだったのでしょうか?

佐藤:いえいえ。行っていたのが経済学部なので法律の勉強なんて何もしていませんでしたし、ましてや引きこもりだったので、行きたい会社も将来の夢もなかったんです。そもそも、個人事業主の家で育っていますから、自分自身に“会社員になる”という選択肢はまったくありませんでした。

——そんな中、なぜ司法書士の道を選ばれたのでしょうか?

佐藤:これはもう、運と縁でしかないです。大学卒業後、結局、実家に帰ったのですが、その時にたまたま近所付き合いのある自動車整備工場のお客様の息子さんが千葉で司法書士事務所をやっていて、そこが人手不足だと聞いたんです。司法書士が何をやる仕事かは正直よく知りませんでしたが、当時は親のすねをかじって生きているような状態でしたので(笑)、断る理由もなく、とりあえず話だけ聞いてみようか、ということになったのです。今思えば、軽いノリでしたね。

——では、そこで働きながら法律の勉強を?

佐藤:千葉に行ってその司法書士の方に面接していただいたのですが、その時に生まれて初めて履歴書を書いて、生まれて初めて面接してといった感じでした(笑)。幸い採用され、最初はバイトとして書類作成をしたり、役所に登記簿謄本を取りに行ったり。一年間はそういった動きをしていたのですが、しばらくすると国家資格の予備校があるんで行ってみたらどうかというお話をいただいて、じゃあ、そうしますと。ここもまた、ノリが軽いのですが(苦笑)。師匠でもある先生が私と同じように法律学部卒ではなかったので、まさに自分のこれからの道のお手本が目の前にいたということが大きかったです。結局、三年かけて国家試験に合格しました。

——そのころはまだ二十代だったと思いますが、司法書士の国家試験に合格されることに関しては平均的な年齢なのでしょうか?

佐藤:二十代での合格は圧倒的に早いと思います。というのも司法書士は、一度どこかに勤めていて、辞めてから一念発起する人が多いんです。結果的に近道にはなっているのですが、逆にこの職しかやっていない私の方が珍しいですね。

好きなものや得意なものに特化して次のステップへ

——独立を決意されたきっかけをお教えください。

佐藤:当時のボスには申し訳ないのですが、司法書士事務所で働いていても、そんなに給料は高くないのです。独立することが当たり前の世界ですから。独立を決めたのは、結婚して子供もできて…この給料で家族を養っていくのは将来的に無理だと思ったからです。そもそも独立するために取った資格でもあるし、タイミングも良かったので。二十九歳の時のことですね。

——独立後の経営状態は順風満帆だったのでしょうか?

佐藤:そんなことはありません。私もバカだったんですが、家賃が十二万円もする事務所を構え、それに対して月の売り上げが六万円だったり…(笑)。そんな一番厳しい時期に追い打ちをかけるように東日本大震災が起こったんです。その当時の事務所は千葉県の浦安だったのですが、報道にもあったように液状化現象がひどく被害も出ていて。私のお客さんも相当大変なことになっていたんです。しかも、宮城県の実家も被害に遭って…その時は正直、廃業も考えましたね。

——司法書士としてなにか工夫されてらっしゃることはありますか?

佐藤:震災から一週間後くらいに、事務所に電話があったんです。会社を作りたい、という内容でした。正直〝え? こんな時に!?〞と思いましたね。IT系の会社だったのですが、そこの社長さんが『塞ぎ込んでいても仕方がない、今はできることをやらないと!』と、すごく前向きに、自分のことだけでなく周りのことも考えてらっしゃって。目が覚める思いでした。自分のことしか考えてなかったことが恥ずかしかったですね。その電話を機に、起業したいと思われている方をひとりでも多くサポートして、その会社が発展していくことで国の納税額が増え、結果的に社会貢献ができればと考えました。そこから、真剣に集客のことを考えてホームページを作り直したんです。そうすると少しずつ問い合わせが増えて、人とどんどん繋がれるようになりました。

——そんなどん底の状況から這い上がられたモチベーションは何だったのでしょう?

佐藤:司法書士というのは起業や会社を作る際のお手伝いをさせていただくだけではなく、相続に関すること、認知症になった方の代理、また一定の基準さえクリアすれば債務整理とかの弁護士的な動きもできて幅が広いんです。そのため、得意なものに全精力を注いで、不得意なものはそれが得意な人にまかせればいいと考え、信頼できる人脈を駆使して、チーム的に持ちつ持たれつで動いています。司法書士は人数が非常に多い職業で、全国で二万人、東京だけで四千人いるとされています。ですので、なおさら得意なもの、好きなものに特化する割り切った考え方のほうが『この分野だと佐藤さんが得意だよね』というふうに口コミでも広がりやすいと考えています。

——今後の展望を聞かせてください。

佐藤:例えばですが、司法書士の方は普通ならば物販とかはやらないと思うのです。しかし、その物販で私を知り、こういう人が作っているんだということが世間に広がれば、そこから本業である相続のコンサルティングとか、そういった話も来るかもしれない。物販でなくても、エンジニアと組んでシステムを開発するとか、とにかく司法書士という仕事だけで見ずに、時代に即して、自分の、そして世間のためになることをやっていきたいです。間もなくAIの時代もやってきます。そういうものもうまく利用して、仕事のふり幅を広げていきたいと考えています。

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