近代化のレールを敷いた大久保利通の組織運営戦略とは?
2020.05.10
大久保利通に学ぶ、医院開業の成功戦略
開業医にとって、「組織をどう成長させるか」は、最も重要なテーマのひとつと言えるでしょう。
特に経営が軌道に乗るまでは、開業エリアで先行する他院と競争し、一定のシェアを勝ち取らなければなりません。後発の組織が、先行する相手とどう勝負すればいいのか? それを考える上で参考になるのが、日本の明治維新のプロセスです。なぜなら日本もまた、近代化においては欧米諸国を追いかける側だったからです。
今回は、経済評論家の故・堺屋太一氏の著書「日本を創った12人」を参考に、日本の近代工業化と、組織の成長プロセスについて見ていきましょう。
明治維新では、坂本龍馬、西郷隆盛など、数多くの志士が活躍しました。その中でも、近代日本のあり方を決定づけた人物として、大久保利通が挙げられます。
西郷と同じく薩摩(鹿児島県)に生まれた大久保利通は、その才覚によって薩摩藩の中心人物となり、徳川幕府打倒に大きな役割を果たしました。その後は明治新政府の最高権力者となり、近代化の基礎固めを成し遂げた、歴史上の偉人です。
この大久保利通が採った近代工業化の手法にこそ、後発組織が生き残るヒントがあります。
近代化「2つのプロセス」
大久保利通の時代には欧米諸国が近代工業化で先行していましたが、堺屋氏によるとそのやり方は様々だったといいます。
近代工業化の先駆けとなったのは、最初に産業革命を起こしたイギリスでした。彼らは先駆者であったがゆえに、参考にすべき前例がどこにもありません。つまり工業化といっても、どんな工業製品を作れば世の中に有用なのか、明確な答えがなかったのです。
この状況に対し、イギリスは自由放任主義で臨みました。あらゆる産業分野で自由な生産活動をさせつつ、その成否は消費者の判断にゆだねるという手法です。結果、工業化社会の成熟には時間を要しましたが、新規参入の自由、消費者主権の実現という、自由主義ならではの長所も実現されました。
このイギリスに遅れて工業化がはじまった国のひとつが、ドイツでした。ドイツの近代工業化について、堺屋氏は以下のように記しています。
「自由競争による淘汰を待つ必要はない、イギリスでは消費者主権で実験をした。ドイツはその結果を見て、よかったものだけを採り入れて工業化すれば無駄がない。それには、イギリスの前例に詳しい人々が選択をして、一番良いものを産業界に作らせ全国民に売れば効率的に近代化できる」
イギリスとドイツの違いは、参考にできる前例があるか無いかの違いでもありました。ドイツは近代工業化においてイギリスのような自由放任主義を採らず、官僚主導型の手法を選択しました。官僚(お役所)の指導の下、イギリスをリサーチして成功例を採り入れれば、効率よく工業化を成し遂げられます。後発のドイツがイギリスに追いつくには、他に方法がなかったとも言えるでしょう。こうしてドイツは短期間で工業化を成し遂げ、ヨーロッパの大国として台頭したのです。
このように近代工業化においては、イギリス流の「自由型」、ドイツ式の「リサーチ型」の2つがあると言えます。
後発組織は「キャッチアップ型」が基本
明治政府成立後まもなく、大久保利通は岩倉使節団の一員として欧米諸国を視察し、各国の近代工業化の進め方を研究しました。そうして彼は、ドイツ式の官僚主導型を選択し、帰国後は明治政府の中枢でその実現に邁進します。後発工業国であった日本が急速に成長できたのは、大久保がドイツ式の「リサーチ型工業化」を推進したおかげであると言えるでしょう。
こうした大久保利通の戦略には、開業医の皆様にも役立つ大きな教訓が隠れています。
それは後発型の組織こそ、先例を参考にする「リサーチ型」の運営が望ましいということです。
どのエリアで開業するにも、先行の医療機関がシェアを占めています。新規参入はそのシェアを切り崩していかなければならないのですから、それなりに過酷な戦いであるのは間違いありません。
だからこそ先行組織と互角に勝負するには、「後発の利」を最大限生かしていく必要があります。そのためには、とにかくリサーチが不可欠です。たとえば先行する医療機関のサービスや業績を観ることで、地域の医療ニーズを把握することは極めて重要でしょう。
逆に、先行組織が満たせていない患者ニーズがあれば、それに応えることこそがシェアの獲得につながります。夜間診療や往診などで、患者の支持を得た例もあります。
また、リサーチすべき対象は開業エリアに限りません。他地域で成功したサービスを、自身の開業エリアに導入する発想もあります。たとえば女性に人気のアンチエイジング外来や、疲労回復のためのニンニク注射など、新しいニーズを掘り起こして成功したサービスも数多く存在します。ユニークな医療サービスで差別化し、それが患者ニーズに合致すれば、シェア獲得にも光明が見えてくることでしょう。
彼を知り、己を知ること
先にも触れましたが、大久保利通は1871年から岩倉使節団の一員として、欧米諸国を視察しています。政府の要職にありながら、国を長期間留守にしてまで他国を視察するのですから、その覚悟は大変なものです。
この視察のおかげで、大久保は「リサーチ型」の近代工業化に確信を持ち、後発の日本に生き残り戦略を与えることができたのでしょう。
「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」といいます。医業経営においても、競合や市場、さらには新規のサービスについて徹底的にリサーチをしてこそ、勝つための戦略が見えてくるのではないでしょうか。
参考図書:堺屋太一「日本を創った12人」(後編) PHP新書