インタビュー

地元からスターが生まれることを夢見て

2018.03.29

グラシアス キャスティング・ディレクター 佐藤 渉氏インタビュー

雑誌やテレビ、イベントにその企画や趣旨に見合ったタレントをブッキングする職業「キャスティング・ディレクター」。
その道のベテランとして活動してきた佐藤氏は、地元に甚大な被害をもたらせた東日本大震災をきっかけに、二千十七年から拠点を東京から宮城へ移行。
様々な困難がありながらも、前向きに地元の活性を願う佐藤氏に、仕事へのスタンスや今後の夢を聞いた。

【プロフィール】
●佐藤 渉 (さとう わたる)
1972年生まれ、宮城県白石市出身。宮城県の大学を卒業後、上京。芸人や役者を志しながらも、28歳で芸能プロダクションに入社。グラビアタレントなどのキャスティングで雑誌を中心に活動する。41歳の時に自身の会社「グラシアス」を設立。キャスティング・ディレクターとして雑誌、テレビ、イベントなどに貢献している。

担当タレントの一番のファンになることを常に心掛けてきた

-もともとは芸能人を目指されて宮城県から上京されたとお聞きしましたが、幼い頃から芸能界への憧れをお持ちだったのでしょうか?

佐藤 渉氏(以下、佐藤):僕が学生の頃は、俗に言う〝トレンディドラマ”が主流の時代だったんです。

各テレビ局で、お洒落で華やかでスタイリッシュなドラマが放送されていて、江口洋介さん、木村拓哉さん、石田純一さん…皆さんがまぶしく見えた時期でした。

彼らの活躍を見て『よし! 俺も後を追うぞ!』という、今思えば完全に若気の至りですが…(笑)。

しかし実際には、やはりそう簡単に行くわけもなく、芸人として舞台に立ったり、役者として演劇に挑戦したりしましたが、結局、挫折しましたね

-挫折後はどのような道を歩まれたのでしょうか?

佐藤 :ある芸能事務所で、マネジャーとして働くことになりました。ちょうどグラビアタレントが全盛の頃で、新人女性タレントを連れてよく出版社を〝挨拶回り行脚”したものです。

-マネジャー時代にタレントに対して心掛けてらっしゃったことなどはありますか?

佐藤:面接の段階で、例えば『私は歌手になりたいんです』と夢を語る人に対しては『どうして選択肢を狭めるの? 』とアドバイスしていました。

〝とにかく世に出ること”を優先させる気持ちを持たせないといけません。

一度世に出て多くの人に認知してもらえれば、無限に可能性が広がりますから。

例を挙げると、容姿であれ性格であれ、本人がコンプレックスに思っていることも、その人ならではの武器になるかもしれない。

それに気付かせてあげるというのも僕の仕事でした。『世に出てから、声が出なくなるまで歌えばいいんだよ』と諭していましたね。

-マネジャーでも、キャスティングでも、人を見極める能力が問われる職業だと思います。そういった目利きはどのようにして培われたのでしょうか?

佐藤:芸能人というのは、可愛いや綺麗といったわかりやすい見た目の華やかさももちろん重要なのですが、私が大事にしていたのは、その人のバックボーンなんです。

〝この人の背景には、いったい何があるのだろう”というのを、コミュニケーションを図る中で見定めていく。

例えば、誰か有名人の二世であったり、歴史上の人物の末裔であったりというのは一番わかりやすいバックボーンですが、それだけではなく、その人のそれまでの人生をいかにドラマティックに魅せていくことができるのか。

学生時代のスポーツ経験やアルバイト経験でもいいのですが、そういった背景を磨き上げ、その人にどんどん武器を与えて戦えるように武装していく。

その動きをやっていくにつれて、自然と私の目利き能力、コミュニケーション能力も上がっていったのではないでしょうか。

その人のことを会話や普段のやり取りの中で掘り下げて、小さな宝石を発掘できるような眼を持てるよう、常に心掛けていましたね。

-歯科医の先生から「面接時は非常に印象が良く採用に至ったが、いざ出勤したら勤務態度が不真面目で… 」といった意見がよくあります。マネジャーやキャスティング・ディレクターとしての経験値から、何か人と接する際のアドバイスなどはありますか?

佐藤:アドバイスになるかどうかはわかりませんが、マネジャー時代に実践していたのは、担当タレントの〝一番のファンになる”ということです。

そういった気持ちで相手と接することで、〝より活躍してほしい”、〝より成長してほしい”という思いからくる、少々きついアドバイスもストレートに言えるようになりましたし、自分と相手

とが一緒に成長していくんだという信頼関係も築けたと思います。

もちろん一番のファンですので、少しでも売り上げが伸びればと、写真集や舞台のチケットを自腹でたくさん買っていたので、金銭面ではきつかったこともありましたね(笑)

私を煙たがる人にも『望むところだ!』という気持ちで挑んでいます

-2017年から、活動の拠点を仙台に移されたそうですね。どのような心境の変化があったのでしょうか?

佐藤:やはり、2011年3月11日の東日本大震災が大きいですね。

私の地元は宮城県の南端にある白石市というところなんですが、大きな揺れは内陸部にも被害をもたらしました。

復興に向けて頑張っている宮城県に対して、何か自分ができることはないか? という思いから、昨年、拠点を移す覚悟を決めたのです。

地元をもっと活性化させたい、地元へ恩返しがしたい。そこに対して自分ができることは、今までの経験を活かし、地元や仙台市ほかでイベントなどを催して、経済効果を上げていくことだと思っています。

-拠点を移されて活動をしてく中で、何か感じる部分はありますか?

佐藤:実は生まれ育った町が世に言う〝シャッタータウン”になっていたんです。

小学校、中学校の閉鎖も相次いでいますし、高校も仙台の学校にも行く人が増え、若い人の町離れがどんどん進んでいるという印象を受けました。

例えば、仙台でのイベントには人気のタレントが招聘され、若いお客さんも多く、盛り上がっていると感じる一方で、地元にも昔から続くお祭りなどのイベントはあるのですが、内容が高齢者に向けたものといった印象でした。

まずは、そこに人気タレントや勢いのある芸人を入れてみたり、より魅力的な企画を入れてみたりといった活動から始めてみたいんです。

私の地元は城下町なんでプライドだけは高いというか、なかなか一致団結しないところがあって… 。

私から言わせると『そんなプライドにこだわっている場合じゃないだろう!』と。

もっとアイディアを出し合い、そのアイディアを形にしようとする姿勢が必要だと感じたんです。

新しいものが入ってくることを怖がる昔気質な部分もあるので、私みたいな人間を煙たがる人もいると思いますが『望むところだ! 』という気持ちで挑んでいます。

魅力的なイベントがあり、魅力的な町にすれば、そこに住みたいと思う若い方も増える。

そうすれば経済効果も上がり、町が元気になっていくと信じています。

そういった流れから派生して、白石市、仙台市、そして宮城県全体へと〝元気”が広がっていけば嬉しいです。

-将来的な夢や展望をお聞かせください。

佐藤:私はキャスティングという仕事がとても好きで、誇りを持っています。

ただ、やはり裏方過ぎないので、実績という部分ではなかなか表面化されにくいのも事実です。

ですので、キャスティングという職業の地位が少しでも上がればと思い、日々活動しています。

そして私の財産は人間関係と人とのつながりですので、その財産を活かし、大事にしながら、いつか地元から全国区の若いスターを輩出したいですね!

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