インタビュー

活動写真という優秀な文化を どんな形であれ必ず残していく

2019.11.20

マツダ映画社:松戸 誠氏インタビュー

日本で唯一、活動写真(=無声映画)を専門に扱っている映画会社であるマツダ映画社。
1948年に二代目松田春翠(まつだしゅんすい)を襲名した、
昭和を代表する活動弁士を父に持つ代表の松戸誠氏は、
現在もイベントなどで作品数約1,000本、6,000巻に及ぶ無声映画のライブラリーを積極的に披露し続ける。
そんな松戸氏に、父からの影響や、これからの無声映画界の未来の話までを伺った。

 

【プロフィール】
●松戸 誠 (まつど まこと)
1960年2月7日生まれ、東京都墨田区出身。大学を卒業後、父の経営するマツダ映画社へ入社。マツダ映画社は日本で唯一、無声映画を専門に扱っている映画会社で、作品数約1,000作品、6,000巻に及ぶ古典映画のライブラリーを所有。日本の無声映画を中心に、外国の無声映画、アニメーション、記録映画なども数多く保存している。現在、上映会のフィルムのレンタルや活動弁士の派遣などを行なっているほか、自主公演も積極的に続けている。
【マツダ映画社HP】
http://www.matsudafilm.com/

 

幼い頃から父の背中を見続けて

―お父様の会社を引き継ぐことはいつ頃から考えていたのですか?

松戸 誠氏(以下、松戸)「父は映画社をやりながら活動弁士もしていたので、子供の頃はテレビに出演している父の姿を観て『うちの父は芸能人なのかな?』と思ったりしたこともありました(笑)。すごく厳しく、そして貫禄がある人でしたね。だからこそ、無声映画の鑑賞会があると、映写機の操作や入場チケットの取り扱いなど、幼い頃から家族みんなで手伝うことが当たり前でした。学生時代はスポーツにも熱中しましたが、無声映画の上映会があると、もちろん手伝いが優先でしたので、クラブを休まざるを得ない。しかし、それほど苦にも思っていませんでした。というのも、父は厳しいだけの人ではなく、たまに北海道などの遠方の興行があると、手伝いをしながらも半分旅行のような感じで観光したり、いろんなことを経験させてくれたんです。思い返すと、ずっと無声映画は身近な存在でした。ですので、いずれ私がこの映画社を引き継ぐことになるのだろうな…というのは、なんとなく幼い頃から自然と考えていたと思います」

―大学では映像や芸能関係を学ばれたのでしょうか?

松戸 「いえ、全然違う学部でした。ですが、大学生になると、車の運転なども出来るようになったので、地方の公演などの際は運転手として、父も私を頼りにしてくれていました。大学卒業後、就職試験もないままマツダ映画社へ入社しましたが、幼い頃から父の姿を見て育ったので仕事はある程度は出来ました。しかし新たな仕事を手取り足取り教えてくれるということは皆無で、背中を見て覚えていけという世界。もちろん、ミスをすれば大いに叱られました。ある時、新宿の紀伊國屋ホールで興行があったのですが、その日は二時間の長編作品の上映でした。長い映画を上映する際には、映写機が二台必要なんですが、会場には一台しかなかったんです。そこで、大きなリールに作品二本分のフィルムを巻かなければいけなかったんですが、なんとフィルムの表と裏を途中から逆に巻いてしまいまして…。いやぁ、あの時は怒られたなぁ(笑)。今考えれば、そんな間違いを犯すなんて信じられないんですが、経験値が浅かったので、焦ってしまったんですね」

―お父様のように活動弁士になろうと思われたことはなかったのでしょうか?

松戸 「一度だけ、活動弁士として舞台に立ったことがありました。面白い仕事だし、高揚感も得られる素晴らしい職業だと思いましたが、私はどちらかというと職人気質で裏方に向いているんだと思っています。でも、その経験は決して無駄ではなく、マツダ映画社では街頭紙芝居の派遣もやっているのですが、だいぶ以前のことですが、当時うちに所属していた紙芝居職人が急病で倒れてしまったんです。『どうしたものか…⁉』と頭を抱えましたが、結局、私がイベントで紙芝居を披露しました。活動弁士の経験がここで活かされたんです(笑)」

子供の目は正直〝良いもの〟を見極める

―現在、小学校などで弁士付きの無声映画の上映会をされていらっしゃるそうですね。

松戸 「はい。意外な話かもしれませんが、子供たちからの無声映画の評判が、先生たちもビックリするくらい良いんですよ。子供には『無声映画は古いもの』という先入観や固定概念が無く、純粋に『初めて経験する新鮮なもの』として観てくれるからなんです。そして、大人は多少下手な活動弁士でも我慢して観ますけど、子供たちはそうはいかない。純粋に〝面白い〟か〝面白くない〟かを見極めてくるんです。つまらなかったら、観てくれないんですよ。学校側は気を遣って『まだ落ち着きのある高学年だけが参加する上映会にしましょうか?』と言ってくださるのですが、別に低学年でもいいんですよ。活動弁士と無声映画というものが優れたコンテンツだということを、子供たちはその純粋な感性と心で理解してくれるんです。私も彼らと接することで、活動写真は後世に残すべき優れたコンテンツだと胸を張って言えるんです」

―松戸さんの夢や展望を教えてください。

松戸 「マツダ映画社には古くて貴重なフィルムが多くあるので、国が保有するライブラリーに納めたり、コピーしたりとフィルムの保存を積極的に行っています。ただ、フィルムがいくら良い保存状態で残っていても、マツダ映画社の後継者は今のところいません。しかし不思議と穏やかな気持ちでいるんです。仮に私がいなくなっても、活動弁士や無声映画が大事なものであれば、ちゃんと遺志を引き継いでくれる人は現れると思っていますので。先ほども申し上げたように、この活動弁士、無声映画というのは日本独自の優れたコンテンツです。ですので、どんな形であれ後世に残っていくと信じています。今年一二月には、活動弁士にスポットを当てた映画『カツベン!』が公開されますし、今以上に活動弁士、無声映画が盛り上がってくれると期待しています。現在、活動弁士の第一線で活躍している坂本頼光(さかもとらいこう)さんは、中学生の時に芸術鑑賞会で活動弁士を観て、志されたそうです。坂本さんのように、活動写真の上映会で無声映画に興味を抱いて、活動弁士を目指してくれる子供が現れてくれれば幸せですね。そして、願わくば海外のように常設的に無声映画が鑑賞できるスポットがもっと出来てくれたら嬉しいです」

 

日本で活動写真(=無声映画)が初めて公開されたのは1896年。日本人にとって馴染みのない無声映画の興行を成り立たせるために、上映中にその内容を解説する人物を活動弁士と呼んだ。これは日本独自の文化として発展したが、音声が入る映画の登場を機に徐々に衰退していくことになった

 

マツダ映画社HP
http://www.matsudafilm.com/

マツダ映画社は日本で唯一、無声映画を専門に扱っている映画会社で、作品数約1,000作品、6,000巻に及ぶ古典映画のライブラリーを所有。日本の無声映画を中心に、外国の無声映画、アニメーション、記録映画なども数多く保存している。現在、上映会のフィルムのレンタルや活動弁士の派遣などを行なっているほか、自主公演も積極的に続けている。

 

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