INTERVIEW

畳作りにこだわり続けて100年 老舗が見つめる未来と継承

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2017.12.11

株式会社 金井畳店 金井 稔、金井 功氏インタビュー

明治44年創業の老舗畳店「金井畳店」。
毎年、年末には家中の畳を入れ替えるというかつての日本人の生活様式も今は昔。
現在はライフスタイルが様変わりし、畳の需要は大きく減っている。
そんな逆風の中、日本の伝統を後世に残すべく邁進する3代目、4代目に話を伺った。

【プロフィール】
●金井 稔 (かない みのる)
1949年8月31日生まれ、東京都出身。宮内庁御用達の京都の老舗「池内宇一郎商店」で修業をした後、32歳で3代目を受け継ぐ。
●金井 功 (かない いさお)
1976年9月13日、東京都出身。代表取締役社長兼若き4代目として、国内はもちろん海外も飛び回り畳の魅力を広く発信する。

物心が付いたころから畳屋になることが当たり前

ー三代目は、二代目からどのような経緯で家業を継がれたのですか?

金井 稔氏(以下、三代目) :経緯も何も、生まれてからずっと一代目(祖父)から『三代目』と呼ばれて育ちましたので(笑)。

物心が付いたころから、自分が畳屋をやるのが当たり前だと思っていました。

金井 功氏(以下、四代目) :それは私も同じです。

周囲からずっと『四代目』と言われ続けて、もう『他の職業に就きたい』とは決して言えない環境でしたね。

『将来は畳屋になる』と言わないと、周りが不機嫌になるんです(笑)

ーでは、学校を卒業されてそのまま「金井畳店」に見習いとして入られたのですか?

三代目 :いえいえ。

そのころは”他人の飯を食う”という言葉があるように、見習いに行くのが当たり前だったんです。

中学校を卒業して、他の畳屋に見習いに行こうと思っていましたが、先生に『高校くらい出ておかないとダメだ』と言われまして。

それで少しでも商売の役に立つようにと商業高校に進み、卒業後は京都の名店『池内宇一郎商店』で修業しました…

実はこの話には高校卒業後、家で見習いをしていた時期もあったんですが半年ほどで飛び出したという裏がありまして(笑)。

家出同然で、当てもなく京都に向かったんです。
やはり家で働くと、学生気分が抜け切れなくて、甘えもあったんでしょうね。

四代目 :私も親父と同じ理由で商業高校に進学し、卒業後は埼玉の職業訓練校に入り、三年間の寮生活を送りながら畳の勉強をしました。

全国的にも有名な厳しい学校で、髪型は五厘刈りで毎朝六時に点呼、朝礼…
まるで軍隊でしたね(笑)

ー四代目は訓練校卒業後に「金井畳店」の見習いとして働かれたと思うのですが、三代目との”親子関係”から”師弟関係”になる瞬間はどのような感情だったのでしょうか?

四代目 :見習いの部屋で寝泊まりして、本当に末端の従業員と同じ扱いでした。

お風呂に入ることさえもままならないような忙しい毎日でしたね。

ですので”これは、もはや親子ではないんだ”と気持ちは早々に割り切れました。

逆に、親父との間に職人さんがいたんで、そちらとの関係性が難しかったですね。

三代目の息子ということで当たりが強いんですよ(笑)。

正直辛くて、外で働いた方が良かったかな…
って思ったこともありましたね。

ー三代目は、先代から脈々と受け継がれる技術を教え込むといった感じだったのでしょうか?

三代目 :実は、親父から何か特別な技術を教えてもらったというのはあまり記憶にないんですよ。

どちらかというと、うちの親父は畳を作る職人というよりも、それを売りさばく商売人だったように思います。

私は二十四歳の時に女房をもらいまして、そこからは倅というか、経営者の端くれと見てくれるようになり、経営のことをいろいろと教えてもらいました。

四代目 :確かに、結婚は大きいですね。
私も二十六歳で結婚してからは、家を継いでいくという責任が急に出てきて、将来のことを考え出しましたから。

三代目 :倅は一生懸命やってると思いますよ。
何でも一回では最高のものはできません。
やって、作って、失敗しての繰り返しなんです。

それで徐々に自分で技術を高めていく。
人から教わって教科書通りにやっても、なかなかうまくいきませんから。

四代目は私よりも畳作りの技術は上ですよ。
私は商売人になっちゃいましたからね(笑)。

四代目 :逆に商売が下手なんですよ、私は(笑)。

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脈々と次の代にまで続く家業の引き渡しが必要

ー近年はホームページを立ち上げたり、ワークショップを開催されたり”畳”という文化を広く世の中に発信されていますが反響はいかがですか?

四代目 :ホームページやブログなど、自分で発信する動きはもちろん、地域のイベント、台東区のお祭りなどに率先して参加しています。
そこで人と人が繋がり、行政が取り上げてくれたり、伝統工芸の方とご一緒に仕事をしたりと、ありがたいことにいろんな広がりを見せています。

三代目 :最初はホームページなんかで仕事が来るのか?…と高をくくっていたんですが(笑)、若い世代のお客さんからの問い合わせが増えましたし、建築会社系の仕事が落ち込んできた時期に一般のお客の仕事が増えてきたんで、功を奏しましたね。

ー失礼ですが、四代目はお子様はいらっしゃるのですか?

四代目 :はい。娘と息子がいます。

三代目 :私は『五代目』と呼んでいますよ(笑)

四代目 :私はなかなかそう呼べないんですよ。

今、私が頑張って、彼に渡しても大丈夫だと思える環境が整ったら、そう呼べると思いますが…ただ”代目”は別に家業を継ぐだけではないと思っているんです。

二代目が説いた金井家の家訓に”三惚れ精神”というのがあるんです。

『仕事を愛し、町を愛し、妻を愛する』というものなんですが、例えば、仕事を愛したり、町を愛したりという精神は畳屋でなくても引き継いで行けますから…

まぁ、畳屋をやってくれるのが一番うれしいですけどね(笑)

三代目 :”家業”の代目はありますけど”家督”の代目もありますから、そういう意味で私は平気で五代目と呼んでいます。

畳屋を継ぐ、継がないは四代目の器量にまかせてね。

ただ、お膳立てして『畳屋をやってくれ』じゃなくてね、五代目が率先してやりたくなるようにもっていくことが大事。

それでなかったら、継いでも壊しちゃうから。
その時に一番苦しいのは五代目ですからね。

脈々と次の代にまで家業を継ぎ続けられるような、先を見通した家業の引き渡しが必要だと思っています。

ー仕事以外での夢や展望などがありましたらお聞かせください。

三代目 :仕事一途で来ましたから趣味と呼べるものはないですが、まぁ女房と二人で美味いものでも食べ歩きしますかね(笑)

あとは孫が七人いますんで、彼らの成長が楽しみです。

もう五〜六年もすれば、ひ孫の顔も見られるかな。

四代目 :私も親父と一緒で無趣味なんで、夢や展望もどうしても仕事方面になってしまうのですが…

今はおかげさまでいろんな縁があって、様々なジャンルの方や海外のアーティストの方と一緒に仕事ができています。

ですので『それはできない』と言うのではなく、どんな形であれ要求に応えていきたいです。

しかし、やはり畳は手作業が基本。

そこを突き詰めて、基本を守りながら『こういうこともできる』と提案していけたらと思っています。

畳は千三百年以上も続くロングセラー商品ですから(笑)

需要が減り逆風ですが、そんな簡単になくなったら困りますよ!