臆病者に最適な役割を与えた武田信玄
2017.09.20
戦国武将に学ぶ医院での人材登用VOL.1
これは戦国最強にして強い結束力を誇る武田家の棟梁、武田信玄が残した言葉です。
信玄は数多くの優秀な家臣を育てたことで知られていますが、ただ戦略や立ち振る舞いを教えるだけではありませんでした。家臣を深く知り、適材適所で活かし、その能力を最大限に引き出すことで屈強の家臣団をつくり上げたのです。
その人材登用の手腕を知ることができる、こんなエピソードがあります。
これは武田家の、岩間大蔵左衛門という家臣の話です。
戦国時代はご存知の通り、日本各地で合戦がおこり、命のやり取りが日常的にあった時代です。そんな時代において、彼は刃物屋の看板を見ただけで体が震え始め、戦場に行く前に気を失ってしまうほどの臆病者であったといいます。
臆病者が故に、戦場でも失態続きで、時代的に存在価値を認められなかった大蔵左衛門。本人の努力ではどうしようもなく、クビにする話まで出た彼に、臆病者ならではの役割を与えたのが信玄でした。
その役目とは家中の動向や悪事、うわさなどを逐一報告する『隠し目付』です。臆病であるが故に、周囲の異変や不穏な動きを敏感に察知する能力に長けている点に気付き、『臆病』を短所としてそのまま受け止めるのではなく、その心理を活用する方法を見つけ出したのです。
人よりも臆病だからこそ些細なことにも気が付き、その結果、密かに話したようなことまで信玄の耳に入る。誰もがそれを分かっているので、家臣たちは心を引き締め、必然的に家中の秩序も守られました。と同時に、誰もが見限ろうとしていた岩間大蔵左衛門の強みを引き出した信玄の人使いに、多くの家臣が信頼を寄せたのです。
もし、信玄が言われるままに岩間大蔵左衛門を切り捨てるような人物であったなら、絆の強い武田軍団は生まれなかったに違いありません。
気質や性格は、人それぞれです。信玄は、臆病であることを『欠陥』ではなく『個性』と捉えたのでしょう。この人は武士に向かない、この仕事にはこういう人物が適任といったように役職や役割を基準に人選をするのではなく、「この人だからこそ出来ることはないか」と考えたのです。
「スタッフに仕事を与えても、思うような成果を出してくれない」
そんな不満や悩みを持つリーダーも多いですが、果たしてそれは全てスタッフの責任なのでしょうか。もちろん、本人の努力不足や怠慢といったケースもあるでしょう。しかし大抵の場合、仕事の成果には向き不向きが大きく影響しています。見方を変えれば、そのスタッフに適した仕事を与えられなかったリーダーの責任でもあるのです。成果を出せないのが不向きな仕事を与えた結果であれば、人選方法を見直す以外に解決策はありません。
組織づくりにおいて『適材適所』という言葉が使われますが、多くの企業は役職や役割に人材を合わせようとします。だから無理が生じ、組織が育たないという結果に陥ります。
適材適所とは、仕事にありきで人材を充てるのではなく、その人材に適した仕事・役割を与えることです。「この仕事は誰に任せるべきか」ではなく、「この人物には何を任せるべきか」を考えるのです。
武田家には、同じく『臆病者』のレッテルを貼られながら最前線の城主を任されるほどに成長した高坂弾正や、新参ながら見識の深さを高く評価され参謀に取り立てられた山本勘助など、信玄の適材適所の人材登用によって活かされた武将が多く存在します。組織に人をはめ込むのではなく、人で組織をつくったことが武田家の繁栄を支えたのです。
組織が人を育てるのか。あるいは、人が組織を育てるのか。あなたは、どう思いますか?
『戦国武将に見るリーダーの人望力』(大和出版) 三谷茉沙夫 著