マネジメント

医院にとって重要なスタッフを守る論功行賞

2017.10.04

戦国武将に学ぶ医院での人材登用VOL.3

あなたの医院にも、核となる重要なスタッフがいることでしょう。医院の方針や院長の考えを理解し、時には院長が思いつかないようなアイディアを提案してくるようなスタッフは、かけがえのない存在です。そしてそんなスタッフを重要なポストに配置し、任せる仕事の範囲や給与面などにおいて好待遇で報いるのも、また自然の流れです。

しかし場合によっては、あまりに重宝したために、その大切な核となるスタッフを失うこともあります。なぜなら、そこに『嫉妬』という感情が生まれるからです。

・なぜあの人ばかり・・・
・現場で頑張っているのは私だって同じ・・・
・ただ気に入られているだけでしょ・・・

こうした感情は、そのスタッフが重宝されている分、あるいはそう見える分だけ大きくなります。ひどい時には、スタッフ同士の感情のもつれにより組織が崩壊することもあります。

では、どうすれば核となるスタッフを重宝しながら、組織を守ることができるのでしょうか。

ヒントは、徳川幕府の祖である徳川家康の論功行賞にありました。家康は重要なポストにある家臣にはわずかな領地しか与えず、過去に大きな手柄のあった家臣には相応の領地を与えました。そうすることで、妬みや嫉みが生まれにくい環境を作ったのです。

たとえば徳川家康には、本多正信という家臣がいました。知略に優れ、家康・秀忠の2代にわたり参謀として重用された人物です。彼は、補佐役として常に家康の側にありました。徳川幕府のナンバー2の位置にいた、ということです。

しかし、そんな彼の領地はわずか2万2千石(1説には1万石とも)に過ぎなかったそうです。本多忠勝や井伊直政、榊原康政といった他の重臣たちが10万石以上であったことを考えれば、何とも釣り合いが取れていないように感じます。

ところがこれは、本多正信自身が望んだことであり、家康もその真意を汲み取って決めたことと言われています。

関ヶ原の戦い以降、大きな戦はなくなりました。平和な時代が始まったわけですが、家臣たちからすれば、これは戦で手柄を立てて領地を増やすことができなくなったことを意味します。それまで戦働きで手柄を立ててきた家臣たちは必要とされなくなり、代わりに政治のできる家臣がその地位を上げるようになりました。本多正信は、まさにその筆頭だったといえます。発言力があり、政治にも大きな影響力を持っている。その上で大きな領地を得ることになれば、反乱分子を生むことにもなりかねません。それが分かっているからこそ、本多正信もそれ以上の加増を辞退し、そして家康もそれを認めたのです。

これは、医院における組織づくりにも役立つ考え方です。特に院長の補佐役も務め、他のスタッフにも大きな影響力を持つ優秀なスタッフが在籍している場合には。

しかし、ここで誤解しないで頂きたいのが、何も重要なスタッフの給与を減らすべき、と言っているのではありません。ここで大事なのは、権限や責任をある特定のスタッフに集中させないこと、そして一部のスタッフに対して妬みが生まれる環境を作らないことです。

たとえば院長の補佐役を担うスタッフには、他のスタッフに指示を与える役目ではなく、意見を吸い上げる役目を与えるのもいいでしょう。言いにくいことを代弁してもらう存在であれば、妬みの対象にはなりにくくなります。あるいは、医院の方針を決める時には数名のスタッフを参加させて合議制とするのも1つの手段です。また褒めるとき、表彰をするときなどは、新人スタッフなど立場が院長から遠いスタッフほど大勢の前で、目に見える形で行うことも効果的でしょう。

重要なスタッフに、「あなたは重要なスタッフですよ」と伝えることは大切です。しかしそれが妬みの原因とならないように配慮することでそのスタッフを守ることになり、他のスタッフが離れていくのを防ぐことができるのです。

ちなみに本多正信は、息子である本多正純にも「決して今以上の加増を受けることがないように」と言い聞かせていました。ところが正純はその戒めを破り、幕府の重責を担いながら15万石の加増を受けました。本人は固辞していた、という話も一説にはあります。ですが、これがきっかけで妬みや怨みを買うようになり、最終的にはあらぬ疑いをかけられて幽閉の身となってしまったといいます。

ここから学べるのは、権限や責任をある特定の人物に集中させれば、結局その人を追いつめることになる、ということです。

このコラムが、あなたの医院でも権限や責任が一極集中していないか、全体的に見てある特定のスタッフのみが特別待遇を受けているように見えていないか、省みる良い機会となれば幸いです。

執筆者:DR’S WEALTH MEDIA編集部
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